だれかがいなくなったニュースを聞いた。
神様が吹いた息で、一瞬で消し飛ぶもの 命とは、そんなもの
人は生きて死ぬんだということ 永遠のようで 死んだら二度と戻らないもの そんな危ない綱渡りのようなロープを、僕らは生命の灯が当たり前で あって当然のものだとおもって 紙一重のスレスレをわたって生きている
全巻揃えた漫画を売ってその都度後悔する。
誰かが成功して、幸せになり、それを祝えない時があるなら、それはその努力の過程を知らない時ではないか。しんどいことがあるならば、それに見合うだけの幸せを。苦しんでいる姿をずっと近くで見ていたひとが、努力の末に、その場を抜け出せた時、それはやっぱりうれしいことの気がして、そこまで魂は落ちぶれてはいない。
上野さんがでてくるタイトルの映画が「上野」みたいなもの?
シネリーブル梅田で「パターソン」を観た。
彼の日常は大きな事件は何も起こらず、繰り返しで、彼はそんな日常をたぶん愛して満足している。それは彼が詩をかき、日常に詩があるからだろうか。最後に登場した人が「詩はわたしのすべてだ」と言っていた。そんな風に言えるものが あらわれたなら。
どっちでも良いけど、映画館に一緒に入ってもらって横に座ってもらい、映画を観ている間2時間手を繋いでもらうサービス(それ以上でもそれ以下でもない、観終わったら解散)があったら、相場はいくらぐらいだろうか。2000円ぐらい?
¥。
好きなヒトにはできるだけ、安い服を着ていてほしい。
何気なく写っている写真で、微笑ましく眺めていた。するとだれかがそれらのジャケットが5万、10万、白いシンプルなカットソーなどは2万近くの値であることを特定した。もやもやの機関車が勢いよく煙をあげて駅を出た。
特定班の方たちが各々好きな声優のファッションブランドとそのなんだかべらぼうに高い値段を特定するたび、正直、対岸の火事だと思っていた。
わたしには見た目ではわからないし大して他と変わらないように見えるのになぜか高い服のよさや、それを買うヒトの気持ちがよくわからない。本当はとてもよいものなのかもしれないけど。わたしにとっての1万円が、その人達にとっての100円であるように、生活水準の違いかもしれない。
5桁の数字。庶民的。何でも特定されてしまう世の中。好きなひとが3000円のコミカルTシャツなどを着ていると安心する。