その心が世界だろう
久々にTHE BACK HORN のイキルサイノウを聴いていた。
「生命線」の「その心が世界だろう」という歌詞が、高校時代とてもすきだった。(正確には「この空も 暗闇も 心映す鏡なら 変えてゆけるいつだって その心が世界だろう」)
すきだったと言うか、本当にしんでしまいたいと思っていたときに救われていた。
自分にはなにも失くなってしまったとおもっていた頃、すべて失ったその心自体が今目の前にある世界なんだと思ったら、ああ何もなくたって構わないんだ、と なんだかその心を受け入れられる気がした。スッと楽になった。
そうやって事実があったことは理性としては覚えているのに、時を経てそのときの感情がカムバックしないことに一抹のさびしさを憶える。
年をとると、感情ではなく、事実だけが積み重なっていくのだなあと思う。中身をともなわず、すがる対象だけが増える。感情の心電図の波形も弱くなっていく。
こうやってどんどん、大切だったことを忘れていくのだろうか。