No place to go

どすこい音頭。

愛とはすこしちがいますが。

貶し愛というのはよくわからないけど、例えば好きな著名人のちょっとした発言も気になって「あの考え方とは合わないな…」と批判的になったり貶したりその人に対する自分の考えを常に明らかにして座標を見付けようとするのは、その人の世界と真剣に向き合いたいという気持ちの表れでもあるのかなと思った(重い)

冷静に批判しているように見えて水面下では必死にばた足泳ぎしているというパターン。

愛というより、真正面に対峙して闘おうとしている感じなのかもしれない。向こうはこっちのことも知らないしそんなこと一人で悶々と考えても仕方ないわけだけど、そんなひとり遊び上手。

相容れないものを無理に最初から、全部は受け入れたくない。と思っているのかもしれない。パターンとして、あの考え方は理解できない・合わない、という部分があればまず最初はそこを自分でしっかり認識して自覚しておくことが多い。「理解できないことは理解できない」と。でもそれは、ただ批判したいのでなく、「その人を好きになりたいから」という動機が根底にあるからこそ。考え方がちがうなら、じゃあそこに対して自分はどう考えるのか、という立場の表明も。そしてどうやったら受け入れられるだろう…と何度か考えてみるうち、月日が経つうちにだんだんその人の考え方も理解できたり、肩肘張らず自然に受け入れられるようになっていることがある。遠回りだし不器用。もっともっと年を取って行ったら、変わって行くのだろうか。変わってもっといろいろな物事を素直に受け入れられるようになったほうが楽だと思いつつ、今あるOSが変わってしまうことにも淋しさを感じる。