No place to go

どすこい音頭。

ぬるま湯のなかの思考停止。

ドキュメント72 という番組で、ニューヨークのコインランドリーに集まるひとびとを取材したドキュメンタリをやっていた。50ヶ国以上の移民のひとびとが暮らすその地域で、24h営業のひとつのコインランドリーに集まる人達にカメラを向け一人一人話をきいていくスタイル。

登場したある一人の洗濯中のおじさん(レストラン勤務?)が、「家族にもう二度と路上生活をさせたくない」「頑張って仕事見付けたんだよ」「子供にニューヨークで良い暮らしをさせたいし、大学にも行ってほしいから仕事をもうひとつ掛け持ちしないとね…」というようなことを言っていて、なんか、自分が今までいかに自由に(自分のためだけに)お金を使って来たかということを感じた。

今まで、なんとか働いてる時でも、本当に自分のためにしかお金を使って来なかったと思った。子供のために…とか、家族のために…とか、そんなこと考えたことなかった。(結婚もしてないし子供は元々いないけど) ここに出て来る人達は、もちろん弁護士や写真家など、そういった上の階級のような職業の人もいたけど、それ以外の人達のなかには、明日のこともわからないような配達員の仕事をしている男性が出て来たり、生活のためになんとか仕事をしている、という人もいた。

ライブのため、観劇のため―そんな風に自由にお金を使っている暇などないのかもしれない。彼らは頑張っている。誰かのために頑張っている。私も、どんな仕事でも良いから働いてお金を稼がないといけないのかもしれない。